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残念ながら、銀行の融資姿勢のゆがみが、日本をバブルへ導きデフレのキズを大きくしているというのが、実情です。 検証2 トップは、基本的に銀行業務が判っていないという人選のまずさ 検証3 日露戦争の様な人事刷新が未だに出来ないでいるから、未だに続く無責任体質という現実 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういった詐欺まがいの行為が、銀行という信用をかさにきて、善良な一般庶民をどれほど泣かした事でしょうか・・・
変額保険で「どん底」知る 2004年1月7日日経夕刊より 薦められるまま自宅の評価額からはじき出したという一億円の保険に加入。抵当権設定の手続き料や火災保険料などの諸費用計六千万円を加えた一億六千万円の融資を銀行から受けた。この保険こそ、保険料を株式や債券で運用するハイリスク・ハイリターン型の「融資型変額保険」だと後で知った。一家を苦しめる保険ということも…-。 59年前の広島。暑さでのどが渇き、水道の水に口を付けた瞬間、ーピカドン」のせん光を浴びた。外にいた母親は水を求めさまよい死んだ。後遺症は体をむしばみ、その後は学校もろくに通っていない。被爆で満足な保険に入れなかった身。保険加入に感謝さえした。 運用利回りが悪化したためか、銀行は94年ごろから一転「解約して融資金を返済してほしい」「土地を売って返済を」と連日、家にやってきた。耐えかねて九五年夏、銀行などを相手取り提訴。翌年一月、「被害者の会」のメンバーと銀行前で抗議のビラ配りをしていると、水を掛けられ、肺炎に。退院を待ち受けた執行官は競売開始を告げた。 「奈落の底」の意味を知った。 夫(79)は心身とも不調に。一人で弁護士事務所や裁判所をかけ回った。一昨年四月の控訴審判決は「有利性を一方的に強調し適切な判断を誤らせた」と都銀と生保などに約七千万円の損害賠償を命令。その後、和解が成立した。被害者の会の仲間は大半が高齢者。弱者を簡単におとしめる世の中は許せない。和解後、会を去る人は多いが、自分はここに残り、どん底から一人でも救い出すため、活動を続けたい。最近、随分自分が強くなったと思う。 2004/06/25=画期的な、変額保険 についての錯誤で、全額が無効の判決がでました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
要するに、銀行には、まともなトップがなる可能性は無きに等しいということです。バブル時の銀行の融資姿勢は、元金は全額貸します。さらに金利としして2割ほど上乗せ融資をしますというものでした。この責任は国民が銀行への資本注入で責任を取らされました。銀行トップの私財没収という話は、とうとう聞きませんでした。 以下、「メガバンクと巨大生保が破錠する日」=講談社α文庫 深尾光洋 著 より 転載 大手銀行が破綻の危機に陥ってしまった背景について、述べておきます。 日本の銀行が挫折した原因はいくつかあり、しかもそれらが複雑に絡み合って いるので理解しにくいのです。 そこで、ポイントがわかるように、「大手銀行内部」と、「当時の金融当局[(大蔵省と日銀)の二つの問題に絞って説明していき ます。 まず、大手銀行内部の問題で最も大きかったのは、経営陣のマネジメント能力 の欠如です。マネジメント能力が欠如したのは、人事制度に問題があったからで す。 大手銀行にはそれなりに優秀な人材が集まっていますが、とくに優秀だと評価された人材が配置されるのは、経営企画部など企画部門の部署です。そして、そのなかでも「MOF担」(モフたん)と呼ばれた大蔵省担当者の昇進は早く、現在でも銀行のトップは「MOF担」の経験者が多いのです。 つまり、銀行で昇進する人は、監督官庁との調整能力が優れているような人材 で、銀行本来の業務や新しい業務で実績を上げるような人材ではなかったので す。 その結果、たとえばコンピュータを使って複雑な商品を開発するデリバティブ (金融派生商品)や、高度な技術を必要とするコンピュータシステムを理解でき る人材は当時の経営陣にはいませんでした。 大手銀行の将来にとって重要な業務であっても、経営陣が理解できないものであれば軽視してしまいます。それに、新規業務に参入などしなくても、当時は利 益を上げることはできました。 ところが、金利の自由化や資金調達の多様化が進展した1980年代になると、 大手銀行は大企業向けの融資だけでは十分な利益が出せなくなりました。そのときに、時代の変化に対応した新規業務を開拓できればよかったのでしょうが、そのような能力をもたなかった経営陣には、それができなかったのです。 そして、ほとんどの大手銀行は、技術も経験もいらない不動産融資に突っ走ってしまいました。不動産への投資というのは、利益が見込める反面、リスクも大きいのです。銀行は、昭和恐慌のときにも不動産融資で失敗した経験があります。 そのことを先輩から聞かされていた財閥系大手銀行の頭取は、バブル期に不動産融資にブレーキをかけようとしたものの、部下はなかなか聞いてはくれなかったと語っていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 銀行のトップ、官僚のトップもかくのごとく入れ替えるべきなのです。 「大整理をして有能者をそれぞれの重職につける以外に
第25回「坂の上の雲を見よう」 (弁護士・鳥飼総合法律事務所代表 鳥飼 重和氏) この正月休みに、久しぶりに、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んだ。 正岡子規と秋山好古・真之兄弟を中心とした明治時代の青春像を描いた作品である。 日露戦争によって、日本がロシアという大国と戦火を交え、かろうじて勝利を得る姿が目に浮かぶような作品である。 その作品の中で最も印象に残った人物がいる。海軍大臣の山本権兵衛である。 ロシアという大国に「勝つこと」を重視した徹底した考え方で戦争を指導した点が光っている。 日清戦争前に大佐でありながら無能な将官や佐官を全員引退させている。 「大整理をして有能者をそれぞれの重職につける以外にいくさに勝つ道はありません」と彼は言っている。 さらに、運が良いという理由で、連合艦隊司令長官に東郷平八郎を据えた点も立派と言える。 「運」や「ツキ」は、馬鹿に出来ない。この重要性を理解し、それを人選の基準にしている点がすばらしいのである。 成功者は例外なく心底から「運がよかった」「ツイていた」ということを成功の理由とするはずである。 いずれにしても、同郷の薩摩人に恨まれながらも、国益のためにしがらみを忘れた人事を実行したところに、指導者としての山本権兵衛の評価すべきポイントがある。 山本権兵衛の印象が強く残ったのは、戦いに関しての報告書の記載について、「後世を誤らせないか」という点を重視していたからである。 彼は言う。「公報の文章の眼目は、実情をありのままに叙述するにある。美文は動(やや)もすれば事実を粉飾して真相を逸し、後世をまどわすことがある」 後世の日本人あるいは日本国に対しても責任感を持ち、それに基づく行動基準を設定していた指導者が現実にいたのである。 このように日本人あるいは日本国に対して責任感を持つ指導者に責任を回避する考えはないであろう。 後世の日本人や日本国のことどころか、現在の自分のことで精いっぱいの日本人が多いこのごろである。このような人が指導者になれば、責任を回避することばかり考えるようになる。 山本権兵衛に代表される日露戦争当時の日本の指導層の素晴らしさの一端を見た感がある。 現在の我々は、余りにも個人主義的になりすぎ、国益を忘れすぎている。少しなりとも、後世の日本人や日本国に対し責任感を持つ指導層が増えてほしい。 その意味で「坂の上の雲」という理想を目指す青春像が明治時代だけでなく、現代にもなければならない。
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