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高潔に生きる。
 

 

 

 

「高潔さ」こそ自分の人間力

 

は何のために動くのか、誰のために動くのか

 

まず。肝に銘じておかなけれぱならないのは。リスクのない人生などないということ、そして、強い心があればどんなことにも耐えられるし、どんなリスクも乗り越えられるということである、

ホロコースト体験者・ノーペル平和賞受賞者エリー・ウィーゼル

 

高潔さについて私が最初に教訓を得たのほ、私が小学校一年生の時のことだ。父方の祖父のクーパーは、庭の茂疹をきれいに片づけるために私を雇った。一 土曜日の午前中のことで 一私はその仕事を早く終わらせようとしていた。前の週に祖父と約束したのだが、まさかその朝に限って近所の友人達と野球の試合をすることになろうとは思っていなかったのだ。そして、私は仕事よりも野球に行きたかった。「そう長くはかからん」と祖父は請け合った。「おまえはこれで高潔さを身につける」。「何、それ」と私は尋ねた。祖父は七十歳近かったが大柄で、もとは刑事だった。その後、自然保護区域のガイドや監督官、地域の指導者、学校の指導監督官などをしていた。角張った顎に万力のような握手、人の心を見通すような灰青色の目をしていた。心臓発作を四回起こしており、何年も前に赤信号に突っ込んできた酔っぱらいの車に礫かれた時の背中の傷も、完全に治ってはいなかった。祖父は杖を使って歩いていたが、それでも身体を使うきつい仕事を、以前よりはぺースを落とすだけで毎日続けていた。祖父はいつものように、腰をかがめて私に顔を近づけ、子供相手ではなく大人にするように話した。「ロバート、高潔というのはおまえの人格に関わるものだ。それはおまえの中に、おまえの心にある。おまえは私に仕事を手伝うと約束した。おまえは私との約束を守るのが正しいことだとわかっていたからここに来た、たとえ野球の試合に出られなくなってもな。それが高潔ということだ。さあ、仕事をやってしまおう」。私は頷いて働き始めた。しばらくすると、祖父は仕事の電話をしなければと言って家に入った。私は小枝を両手いっぱいに集めて、燃料用に薪を積み上げてある場所に運んだ。十分もたつと、私の頭の中はここでこんなことをしないで、野球ができたらどんなにいいだろうという思いで、いっぱいになっていた。小枝は顔や腕をひっかいた。自分の高潔さなど、正確にはそれがどんなものであれ、野球の楽しさとは比べものにならなかった。苦労して両手いっぱいに小枝を拾い集める代わりに、隣接した茂みの目につかない場所に、私は小枝を少しずつ投げ戻し始めた。それからいくらもたたないうちに、私は薪の山には一本の小枝も運ばなくなっていた。茂みの中に全部投げ込んでしまったのだ。とうとう、庭に小枝は一本もなくなった。

 

小さい頭に「本物の高潔さ」をたたき込まれる

私は急いで玄関のドアに行って叫んだ。「できたよ。全部終わった」。この時の祖父の顔を、私はけっして忘れることがないだろう。「お金を払う前に、一緒に来なさい、ロバート」。茂みに向かって、歩きにくそうに庭を突っ切る祖父の後を私はついて行った。「おまえは私に約束した仕事をしなかった。どうしてだね」。「ぼくはちゃんとやったよ」。私は嘘を言った。祖父は何も言わず、待っていた。その時私は、祖父は窓からすべてを見ていたに違いないと気がついた。「でも全部きれいになった。これでいいんでしょう」。私は言い張った。「違う。おまえだってわかっているはずだ」。私は目を上に向けたり、ぶつぶつ言ったりしていた。祖父は言った。「私は茂みの中から小枝を拾い出して、全部薪の山まで運ぶためにおまえを雇ったのだ。ところがおまえは、それをまた茂みにまき散らしてしまった」。祖父はまた待った。「それじゃどうしたらいいの、おじいちゃん」「問題はだな、ロバート、おまえがどうするつもりかということだ。これは高潔さの問題だ。

「どういう意味」「高潔さを持って、おまえが自分でするべきことがいくつかある。まず、おまえは私の信頼を裏切ったことを謝る。そしてもう二度とこんなことはしないと私に約東する。それから茂みの中に入って、おまえが捨てた分以上の小枝を運び出す。終わったら私のところへ報告に来る。それからどうなったか二人で一緒に点検しよう」。そこで祖父は少し間をおいた。「そして最後に、私がお金を払おうと言ったら、おまえはそれを断わる」。これが正確な顛末だ。私は罰を受けたが、それからの私の人格形成にとっては幸いなことであった。私は正しいことと問違ったことを諭され、恥じ入った。私はごまかしたのだ。仕事が「終わった」のは自分が約束したことを破ったからだった。私は野球の試合に結局行けずに、お金ももらえなかつた。だが、私は高潔さとは何かという問題に面と向き合うことができたのだ。これは私に限ったことではないだろうが、長年のうちには自分が高潔さを失っているのに気づいたり、そのために間違いを犯したり人間関係を損なったりしてしまうものだ。そしてその度に、私は良心に鋭い痛みを感じ、祖父のことを思い出す。−そして再び祖父の存在を感じ、自分の方向を正すのだ。ほとんどの管理職が、自分ほ高潔にふるまっていると信じている。だが、実際のところ、私達の多くは、どうすれぱ高潔に行動することができるのか悩んでいる。管理職や専門職の中には、高潔さとは盲目的な忠誠や慎重さ、あるいは秘密を守ることと同じだと考える人々もいる。また中には、高潔さとはたとえ間違った、あるいは有害な目的に対してさえ、偏狭な、あるいは硬直した一貫性を貫くことだと考える人もいる。またそれとは違つて、高潔さとは正直、純粋、シンプルさ、あるいは明白な嘘に対する弾劾だと考える人もいる。だがこれらの見方は、すべて的を射るとは言えない、本質的には、仕事における高潔さとは、その仕事の責任を全面的に引き受け、明確でオープンなコミュニケーションをし、約束を守り、秘密協議を避け、自分自身や所属するチーム、あるいは会社を、信義を持って導く勇気を持つことである。そして信義という言葉には、常に正直に自分を−頭だけでなく心においても知り、それを保つことが合まれるのである。

 

「高潔さ」の持つ無尽の力

高潔さや倫理は、時として便宜や利益の二の次にならざるを得ない言う人も少なくない。またリーダーシップの本質は、人の意見を聞いたり奉仕したりすることではなく、権力と特権を獲得することだという意見も多い。しかし、これは間違いだ、仕事において高潔さを保つためには、人と話し合い、自分や人が正しいかどうをきちんと評価することが必要である。それは、白分にも他人にも正直であること、そしてやると言ったことを確実に実行することから生まれる。ケース・ウェスタン大学組織行動学科の主任教授、デビッド・コルブによれば、高潔さとは、人間の知性のもっとも高貴なかたちを表現した概念である、高潔とは、洗練された意識であり・創造性・価値観・直感および感受性、合理的な分析力同様に深めた状態なのだ、とコルブは強調する。高潔さは、発展させることができるか−答えはイエスである。高潔さは、、心の誠実さの深まりと拡がりとして見ることができる。それは統合と融和の過程を示すものである。高潔さは機能する。高潔さはたんなるよい思いつきでも、硬直した行動規範でもなく、むしろあなた自身の行動原則に基づいた、あなたに強制力を持つ強い感情である。感情には判断力がない、少なくとも健全な、あるいは正しい判断力がないということが、しばしば熱心に主張される。だが私はそれとは反対に、感情や情熱はそれ自体が、もっとも大切な種類の直観的な判断力であり、そこから私達の高潔さは生まれ、高く掲げられると考える。これに共鳴するように、哲学者ロパート、ソロモンは、彼の著作は私の二十年来の愛読書だが−こう主張する。私達の感情は、私達の現実、および高潔さを具現化する本質的な判断力である、と。さらには、高潔さのこの強い内面的、直観的な感覚を通してこそ、エネルギー、創造力、プライド、そして潜在能力が共鳴し合って力を発揮するのである。高潔さはまた、相互作用を持つものでもあり、個人とその周囲の人々、一つのグループと関係のある他のグループとの間の関係の取り扱いにも影響を与えるものである。

 

―個人の「高潔さの核」となる三つの特質高潔さ−あるいは実践された高潔さと呼んだほうがいいだろう−は深い良心を呼び起こし、あなたに、それに従って行動する勇気を与えるものである。イェール大学法学部教授、スティiブン・L・カーターによれぱ、高潔さには三つの大きな要素が不可欠である。

1何が正しく、何が問違っているかを「認識」する}」と。

2たとえ個人的な犠牲を払っても、その認識に基づいて「行動」すること。

3自分自身の善悪の理解に基づいて行動していることを「率直に表明」すること。

 正直なくして高潔ではあり得ないが、高潔さなくして正直であることは可能である。人は具体的な状況や、前後の関係や相手の感情、タイミングを考慮したり、道徳的な善悪の判断をしなくても、十分に正直でいられるということである。たとえば、信念を口にしたり、行動に移したりすることが、今の自分の状況にふさわしいものであるかどうかを考えずに、つい正直にそれを口にすることがあるかもしれない。

 カーターはこう言っている。「問題は、誰かがついうっかり友人の気持ちを傷つけるようなことを言うといった単純な場合もあるだろう。少し考えれば、人を傷つけるかもしれないということと、発言の不用心さがわかったはずだ。あるいは問題はもっと複雑かもしれない。たとえば、人種差別の色濃い社会で生まれ育ってきた人問が、『人種差別は問違っているかもしれない』と考えてみることなしに、『人種に優劣の差があるのは当然である』という信念を述べる時などである。人種差別主義者はたしかに正直なのだ。彼は自分が実際に考えていることを私達に述べている−だが彼の正直さは高潔さと一致するものではない」。高潔であってはじめて、私達は、最善の能力を発揮することができる。たとえぱ、会話の途中で何か大切なことが話されていないと感じたならば、それを指摘するだろう。そして何か間違っていると感じることがあって、その疑問や気にかかる点を相手に伝えなかったとしたら、そうした懸念の重みがあなたの心にのしかかり、創造的な対話ができなくなるだろう。心を自由に保つためには、ほんの少しのわだかまりさえも大敵なのである。高潔さに対するもっとも重大な違反の一つは、「知っているのは自分だけだ」と考えることである。自分の信念や価値観を裏切ったとしても、知っているのは自分だけだ。自分を信頼してくれる人々に対して非倫理的であったとしても、知っているのは自分だけだ。約束を守るつもりなどはじめからないとしても、知っているのは自分だけだ。それではあなた自身の判断を尊重せず、他入がどう判断するかだけを問題にしていることになる。だがそれは問違っている。あなたの「心」は必ずそのことを知る。他の人々もまたそれを感じ取るだろう。そしてあなたの高潔さは失われる。なぜいつも「新鮮な空気」が吸えないのか次の実話について考えていただきたい。パトリックは、一見したところ成功している会社のコンサルタントをしていたが、何か具合の悪いことがあると感じた、経営はうまくいっているはずなのに、重役室にはまるで活気がなかった。どうしてこんなことになるのだろうか。パトリックは会社の最高幹部達と話し合って、エネルギーが消えてしまった原因を探ろうとした。やがてその答えが見えてきた。それは「粉飾帳簿」だった。その会社は、常に法が定めるところに従って税金を納めてきた。それが会社の方針であった。ところが最近、帳簿のミスに気づかずに、税務署に虚偽の申告したことがあり、それがバレずに、修正申告しないですんでしまった。それ以来、同じようなことが何度か続いた。それで「粉飾」決算が非常に簡単にでさることに気づき、幹部らはこれから帳簿を粉飾することを決めたのだ。それが彼らのエネルギーを奪っていたのだった、いったい、どうすればよいのか。パトリックには、モチベーション・プロジェクト重役達がパトリックを雇ったのはこのためだ−の成功には、この問題の解決が絶対に必要だと確信した。パトリックは週末の間じっくり考え、白分自身の内なる真実の声に耳を傾けた。月曜日にパトリックは社長室に行くと、全面的な監査を受けることを勧めた。「何だって」。社長は驚いた。パトリックは重役達のために、国税庁に電話するようにと言ったのだ。何という馬鹿げた鉄面皮な提言だろうか。こんなアドバイスは、彼がこれまでに築き上げてきた、この会社との良好な関係を台無しにしてしまうだけではないのか。だが、これはパトリック一人だけの問題ではない。リーダーシップを取る者すぺてが持つぺき「勇気」についての問題なのだ。そして、重役達は、社運の向上の明確な見通しが立つと、深い苦悶と懸念を乗り越え、パトリックの言葉に従うことを決めた。監査を請求したのである。結局、同社は追徴課税と罰金を合わせて、数百万ドルを支払うことになった。大きな痛手である。だが、社にはかつてのバイタリティがよみがえってきた。そして創造性も戻った。社の利益ぱ急上昇した口私は大きな金融会社の社長にこの話をしたことがある。彼は即座に頷いて言った。「それは利口な判断だった。正直なだけじゃなく実際的だ」。彼は粉飾が、 金、時間、士気をどれほど消耗させるか、そしてすぺてにどれほど暗雲を投げかけるかを語った。彼の含蓄に富んだメッセージはこうだ。「勇気を出して、自分の欠点を認めよそうすれば高潔さという新鮮な空気を吸うことができる。 ――ビジネスマンのEQ―― ロバートクーハー著 三笠書房より、抜粋

 

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